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2014年11月17日 (月)

今日も女史に突っ込む(女史の龍谷大・仏教博物館訪問記録)

 今日も女史のエントリに突っ込んでみます。リンクは張りません。

女史「(龍谷大学の仏教博物館は)素晴らしいですね。ウチの大学はどこぞのOBが東京オリンピックまでに学内にスポーツ博物館をつくるとかいっていて、もう文化のかおりなんて微塵もありません。」

 女史が龍谷大学関係者相手にはいた暴言です。まあ、龍谷大側がまともな人なら「何だこの女?」と呆れたでしょうね。顔に出さないでしょうけど。まあ、この言葉を「謙遜の言葉」と誤解して「スポーツ博物館、いいじゃないですか」と言ったかもしれませんが女史だと「そんなことはありません、くだらない」とか言って相手を唖然とさせるんでしょうね。
 早稲田にスポーツ博物館を作ることの何が「文化の香りに反する」のかよくわかりませんがそれはさておき。
 どういう話だろと思ってググったら以下の記事がヒットしました。「どこぞのOB」とは河野洋平氏だったわけです。
 なるほど「中国嫌いの右翼」の女史なら河野氏はお嫌いでしょう。ただ記事読む限り文化の香りがしないどころか立派な文化事業じゃないですか。て女史にマジレスしたら負けの気もしますが。周囲の人間もバットで思い切り殴りたいとか思わないのかね、あの女史を。ああ、あれか「類友」て奴か。

http://mainichi.jp/sports/news/20140705k0000e050230000c.html
■毎日新聞『早稲田大:スポーツ博物館を構想 OBら散逸資料を収集』
 日本のスポーツ発展に貢献した早稲田大出身者の関係品を展示する「早稲田スポーツ博物館」(仮称)の開設を目指し、早大体育会のOBでつくる「稲門体育会」(河野洋平会長)が、本格的な所蔵品集めを始めた。貴重な資料の散逸を防ぎ、学生や市民に多大な功績を知ってもらう狙い。同会から要望書の提出を受けた大学は、今後具体化を検討する予定で、実現すれば日本初の本格的な大学スポーツ博物館になる。【砂間裕之】
 野球部が1905(明治38)年に日本で初めて米国に遠征したほか、28(昭和3)年のアムステルダム五輪で、陸上三段跳びの織田幹雄選手が五輪史上初めて金メダルをもたらすなど、早大各部が草創期の日本のスポーツをけん引した。
 しかし、こうした歴史を知る学生が少なくなっているうえ、貴重な関係品が廃棄されたり、所在不明になったりするケースもあるため、2年前から準備を進め、博物館開設を提案した。
 五輪や国内トップレベルで活躍した選手のメダルやユニホーム、写真などを所蔵、展示する。最近活躍した選手の品も集めるという。河野会長が5月、大学に要望書を出したのを機に、全44部を通じて本格的な収集に乗り出した。
(中略)
 河野会長は「織田さんの日記には、自分で考えたトレーニングやコンディションの整え方などが記述してある。日本スポーツの土台を築いた先人たちの隠れた努力を多くの人に知ってほしい」と話している。
 早大は「稲門体育会からの要望書を受け取っており、今後の検討事項として、参考にさせていただく予定」と話している。

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