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2015年3月29日 (日)

今日もI濱女史に突っ込む(中国人差別発言に呆れる:追記あり)

 リンクは張りませんが、I濱女史のブログの一文です。興味のある方はI濱ブログを検索するとよろしい。

1904年に福岡県庁の前に建立された、日蓮像と亀山上皇像。私事になるが前にここに来たのは、十代のはじめ頃であった。神風に袖を翻す巨大な日蓮像を見て圧倒され、像の足下にある銅版画にモンゴル軍の非道(捕虜の手のひらに穴をあけて紐を通している)が刻まれているのを見て「蒙古こわい」と思ったものだ。
 その後すっかり忘れて大学に入ってモンゴルゼミとかに入ったところを見ると、あの時感じた怖さは現実のモンゴルに対してではなく、「外国からやってくる話の通じない暴力」に対してだったのであろう。

・「モンゴルゼミ」云々て、そりゃ誰も「元寇の時みたいに、モンゴルが海を渡ってまた日本に攻めてきたらどうする!」なんて思わねえよ(苦笑)。モンゴルは内陸国だから隣国通らないと海に出られないし、そんな暴挙を隣国(中国、ロシア)が容認するわけもないし。
 つうかさ「仮想敵だから、怖いから学ばない」て認識もどうかと思うけど。
・モンゴル軍てのは「元寇」ですね。日蓮はまあ説明しなくても分かるかと思います。亀山上皇てのは「元寇の時の上皇」です。博多湾に襲来したので福岡にそういう銅像があるわけです。
 なるほど、なるほど、I濱女史が「沖縄に米軍がないと中国が攻めてくる!」と妄想するようになったのは「福岡にある巨大な日蓮像」のせいだったわけですね。
 笑えない話の気がするがバカバカしすぎて笑ってしまう。

日蓮像護持協会が運営する元寇史料館から、これらの像の建立の経緯を引用すると以下のようである。
   記念碑建設の起こりは、(注:建設の)二年前(1886) の八月に起こった"長崎清国水兵事件"によるものである。その事件とは、定遠を旗艦とする清国北洋艦隊が長崎に寄港した際に、上陸した水兵等が酒に酔い大暴れ、鎮めようとした巡査・市民など多数を死傷させ、家屋を破壊し、そのまま出港してしまった。この清国水兵による惨害の補償は、当時の国力の差から日本の無き寝入り同然の結果となり、人々は国辱だとくやしがった。この事件を担当した湯地丈雄は、再びこのような屈辱があってはならないと胸にきざみこんでいた。その後、福岡警察署長に着任した湯地丈雄は、元寇の地、博多に国難殉死者の慰霊碑が一つもないことから、再び外国からの辱めを受けないための精神的象徴として元寇記念日を建設することを思い立った。
 この長崎事件における清國水兵の破壊・暴力 → 弁償しないで逃走 → 日本人大怒り の構図は、なんか現代の中国での反日デモにも通じて、つくづく中国は進歩ない

 太字部分は俺の強調ですが、これて明らかに中国人に対するヘイトスピーチですよね。普通書かないだろ、こんな事(それと暴動を起こしていいとは言いませんが暴動の発端となった石原の尖閣購入論だの、安倍の靖国参拝だのを併記で無視できる辺りはさすがウヨのI濱です。清国水兵事件と大分性格が違うだろ)。
 要するにI濱女史の「中国への敵対感情」は「反共主義」「中国のチベット支配への反感」などといった甘いものではなく「長崎清国水兵事件を伝える巨大日蓮銅像」など「福岡などでの反中国右翼洗脳教育(?)」のたまものだったらしい。清朝時代なんて共産党はもちろんないですからねえ。清朝のチベット支配も今の中国とはとまた性格が違うでしょうし。
 「コエー、福岡、さすが暴力団抗争(工藤会とか)が盛んで、極右団体・玄洋社、黒龍会の発祥地だけあるわ。俺福岡に生まれなくて本当に良かったわ」「つうかいつまでガキ時代の反中国右翼洗脳教育引きずってるんだよ、I濱、お前バカじゃね?」と思わずにはいられませんね。いや冗談でなくマジで。
 よくもまあMukkeさんもI濱みたいなキチガイ右翼を容認できるよなあ。そしてI濱やMukkeみたいな「自称チベット支持者」の『反中国のバカ右翼』がいる限り俺は絶対に「チベットなんか支持しません」ね。だってそれ右翼運動の応援でしかないジャン。俺右翼大嫌いだし。
 まあ、それはともかく。設立の経緯はともかく、そういう「反中国右翼思想の宣伝」と認識されかねない銅像が県庁前に堂々とあるってまずくねえの?(つうかウヨのI濱女史は明らかにそういう認識して銅像の宣伝さえしてますけど)。日中友好の観点から撤去した方がいいんじゃね?。つうか日・モンゴル友好的観点からもまずくねえか?

【追記】
以上でメインは終わりですが、あといくつか突っ込んでおくか。

日清戦争の下関講和条約の舞台となった料亭・春帆樓へ行く。春帆樓は今も営業を続けているが、条約の結ばれた建物はすでに建て替えられており、代わりに条約の席を再現した間が記念館内に作られている。
 中から大量の本土中国人の観光客が観光を終えてでてくる。
 I濱「自分たちの国が負けて不平等条約を結ばされたこの場所で、どんな解説をされて、何を言い合っているのかが興味深いですね。想像つくけど。」

 いやI濱先生がどんな想像をされてるのかさっぱりわからないんですが。中国人観光客が「日本の侵略許せねえ」と反日思想燃やしてるとかそういうこと?
 まあ、俺が思うにさすがに中国人相手に「日本にとって日清戦争勝利は誇りだった」とぶちかますほど「解説者も無謀じゃない」でしょうから「淡々と事実のみ解説」でしょう。
 で中国人側も「ふーん、そんなことがあったんだ」て淡々とした感想じゃないんですかね。よく分かりませんけど。

旅館に隣接する赤間神宮へ。ここはあの耳無し芳一の怪談で有名な寺。
T先生「ここの境内にある大連神社をご存じですか。日露戦争後に、満洲の玄関口大連に総氏神として祀られた熱田神宮のご神体を、敗戦とともにここに移したものです。ここには満州国の資料がたくさん所蔵されていて一橋大学の学生さんたちが整理にあたっています」
 配殿の横には終戦の月の25日に天皇陛下にわびるために自決した大東塾の塾生14名(大東塾十四烈士)の霊が祀られている。

まあ、戦前日本の右翼ぶりを示すものとしてなかなか面白いかも知れません。

(注:下関については)下関名物、長周新聞に触れねばなるまい。この時丁度、同紙は市長の学位請求スキャンダルを糾弾していた。この件は確かに市長の行動に非があったが、それを糾弾する新聞の口調がなんとも文革的というか、知的でない。 調べてみると、この新聞社、中国に従って日本共産党を除名された福田正義が1955年に設立したものであった。

 どの辺りが文革的なんだかよく分かりません。つうかさI濱ちゃんさ、あんた最初から長周新聞がどういう新聞か分かってるよね?

 サイトにある福田正義が書いた「偏っているか」(http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/choushuusinnbunnshoukai.html)を声にだして読んで見たら、中国がチベットを「平和解放」した時の共産党の宣言文を思い出した。反米、反帝国主義、愛国の論理と口調が全く同じ。 内容の是非についてはご自身の価値観で。21世紀になっても毛沢東主義を奉じているとは、インド・ネパールのマオイストのよう。

 I濱女史が紹介する「偏ってるか」は「左翼機関紙の長周新聞が左翼運動を宣伝するのは当然だ。それを『偏ってる』とする批判には全く賛同する気はないが、それで終わってはいけない」「大衆性を忘れてはいけない、ただの『左翼機関紙』で終わってはいけない。そう言う意味では偏ってはいけない」というまあ普通の内容で「毛沢東」云々関係ありません。
 つうかさ、長周新聞サイトのどこにも「目立つ形では」文革万歳、毛沢東主義万歳なんて書いてないですけど。
 正直、もう毛沢東主義なんか奉じてないでしょうよ。正式に「毛沢東主義支持の撤回」をしたかどうかは知りませんけど。
 ああ、それとネパールやインドの「自称マオイスト」について言えば「単なる左翼武装勢力」にすぎず「毛沢東云々」て自称はどこまで信用できるか怪しいと思いますね。単に「毛沢東は有名だから」という宣伝じゃないか。

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