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2015年3月 8日 (日)

今日もI濱女史に突っ込む(ダライラマ13世の都落ち)

ダライラマ13世が1904-1913年までの蒙塵期間中に接触した人物をリストアップする作業を行っている。

I濱女史のツィートの一部引用です。「蒙塵」てのは古めかしい言葉ですが「塵をかぶる」と言う意味で「天子など高貴な人物が身の安全のため、姿を隠すこと」をこういいます。平たく言えば「都落ち」あるいは「亡命」といっていいでしょう。
 ではなんで13世は「亡命した」のか。
 ウィキペ「ダライラマ13世」でわかることですが、これは1904年に当時の英国がチベットに侵攻してきたからです。チベットに政治力を及ぼしたいと考えていたのは何も中国だけじゃない。英国は「実現可能ならば」「そしてコストに比べてメリットが大きいなら」チベットを自国の植民地にしたかったわけです(結局は植民地にはしませんでしたが)。
 中国(当時は清朝)と英国との交渉で、英国が1909年に撤退すると13世はチベットに戻りますがしばらくするとまた亡命します。
 というのは
1)13世亡命中(1904~1909年)に清朝が「パンチェン・ラマ9世」のチベット領主としての擁立を計画
2)13世が亡命中に「パンチェン擁立」に対抗するため、日本、英国、ロシアに密使を送っていたことが清朝側に発覚、身の危険が生じたから
です。
 1911年に辛亥革命が起こって中国側がチベット問題どころじゃなくなる1913年にはまたチベットに戻るわけです。でしばらく「事実上の独立状態」が続くわけですが、「1949年の中華人民共和国建国」で国内のごたごたが収まった中国中央政府は満を持して「チベット支配(チベット解放)」に乗り出すわけです。

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