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2015年5月25日 (月)

I濱女史のチベット小説書評に吹いた

・ラジャムジャ著『雪を待つ』(2012年 勉誠出版 星泉訳)
  腹が立ったのは、ラストで元転生僧のニマトンドゥプが村に小学校を建てようとしたこと。これ、もし作者が明るい未来を暗示して入れた挿話なら、成功していない。だって小学校を建てるお金、ニマトンドゥプが村に伝わる古代の鐘を夜陰に乗じて盗み出し、売り飛ばして手に入れたもの。また、ニマトンドゥプは元僧侶なのに、寺院をたてるか、小学校をたてるかって時に、小学校を選んだのも、彼が(注:僧侶をやめ、寺院の盗品の故買屋になった事とプラスで、寺院を軽視してるという意味で)二度チベットの伝統を踏みにじったことになり、不愉快。

いやー、I濱先生らしくて思わず吹き出してしまいました。
「盗品売り払ったカネで善行しても偽善だよ」つうのはわかります。
「寺院建設と小学校建設だったら寺院建設が正義に決まってるだろ、お前もと僧侶だろ」てのはまるきり意味不明ですね。「I濱、お前どんだけ寺院好きなんだよ(苦笑)」て話ですよねえ。
 つうか小説て別にハッピーエンディングでないといかんわけでもないし、「小説内の登場人物の言動=作者の価値観」でも必ずしもないし。小説を読まないと何とも言えないですけど、「小学校を建てることが寺院建設より善だと作者は思ってるのか!(怒)」「盗品売り払ったカネで善行する事が善だと作者は思ってるのか!(怒)」てI濱女史はいつもながら気が違ってますね(苦笑)。
 つうか「寺院の鐘なんかうっぱらって小学校建設に使った方がマシじゃね?」てのは仮に作者の価値観だとしても一つの価値観であって別に「議論の余地のない悪事」ではないですよね。まあ、さすがに盗んでうっぱらうのはまずいですが(苦笑)。

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コメント

まあこの話は、教授がチベットに何を求めているかということがよくわかるし、また現場のチベット民衆の幸福とかにも基本的に関心がないのがわかりますね。普通なら、そのあたりは本音を隠してカムフラージュするくらいの常識があるはずですが、そういうこともしないのには呆れます。

>また、ニマトンドゥプは元僧侶なのに、寺院をたてるか、小学校をたてるかって時に、小学校を選んだのも、彼が二度チベットの伝統を踏みにじったことになり、不愉快。

元僧侶なんだから、寺院でなく小学校を選んだこと自体は、ごく自然じゃないですかね(笑)。まあでもこんな程度のことで「不愉快」なんて書くあたり、やっぱりこの人といい、こんな人を公然とかばうMukkeとかいう人物もまともじゃありません。それで、こんな人を近づけているダライ・ラマその他もです。彼らに「ああいう人とはつきあわないほうがいいですよ」くらいの進言をする人たちもいないんですかね。

Bill McCrearyさん
>この話は、教授がチベットに何を求めているかということがよくわかる

「寺院>小学校」「近代化>伝統」「精神文明>物質的豊かさ」なんでしょうね。ただそれを「豊かな国日本」に暮らす人間・女史が言うのっておかしくないかと思いますが。

>元僧侶なんだから、寺院でなく小学校を選んだこと自体は、ごく自然じゃないですかね(笑)。

なるほど「元」ですからね。そう言う考え方もできますね。

>まあでもこんな程度のことで「不愉快」なんて書くあたり、やっぱりこの人といい、こんな人を公然とかばうMukkeとかいう人物もまともじゃありません。それで、こんな人を近づけているダライ・ラマその他もです。彼らに「ああいう人とはつきあわないほうがいいですよ」くらいの進言をする人たちもいないんですかね。

まあ、どうしようもないんじゃないですかね(苦笑)。というとMukkeさんなんか怒り出すんでしょうが、女史なんか「チベットは近代化しなくていい、伝統のママでいい」という時代錯誤ぶりが露骨ですからねえ。

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