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2015年6月18日 (木)

今日もI濱女史に突っ込む(早稲田の四天王)

I濱女史のエントリ記述。

 富岡コレクションとは日本重化学工業の初代社長である富岡重憲氏のコレクショであり、かつては大田区山王の富岡美術館の所蔵品であった。しかし、どういう事情か分からないけど2004年にここが閉館し、コレクションと富岡美術館学芸課長である浅井京子先生がそっくりそのまま(注:早稲田大学會津八一記念博物館特任教授として)早稲田に移籍した。早稲田にきたのは富岡重憲氏のお孫さんが早稲田卒だったことによるご縁らしい。
浅井先生
 「本コレクションには早稲田の四天王の一人市島春城の印章コレクションがあります。市島春城は四天王の中でももっとも知名度が低いのですが、初代図書館長の立派な方です。彼の書簡を研究することでどの印章が誰の号なのかどこで用いられていたのかをかなり同定できました。」
私「早稲田の四天王って誰でしたっけ? 大隈重信は入りますよね?」
浅井先生、失笑。
私「あっそうか。四天王って仏様のガードマンだから、仏ははいりませんよね。じゃあ初代文学部長の坪内逍遙、小野梓、市島春城ときて、あと誰でしたっけ?」
浅井先生「高田早苗です」

 まあ、浅井先生も「早稲田OBで早稲田の教員・I濱女史」から「早稲田OBでなく招聘されたよそ者の自分(浅井氏)」に「四天王って誰ですか」と聞かれたら苦笑でしょう。まあ、I濱女史も「坪内逍遙、小野梓」で何とかリカバリーできたのは幸いでした。
 ちなみに、浅井氏の言う四天王とは次のような人物です(ウィキペ参照)。
・坪内逍遙:
 作家。初代早稲田大学文学部長。早大には坪内を記念した「早稲田大学坪内博士記念演劇博物館」がある。
・小野梓:
 大隈重信の腹心として立憲改進党や早稲田大学の創立に尽力。
・高田早苗:
 1907年に早稲田が「学長・総長制度」を導入すると初代学長に就任(初代総長は大隈重信)。1923年からは早稲田総長を務めた。また第二次大隈重信内閣(1915~1916年)では文部大臣として入閣した。
・市島謙吉(市島春城):
 初代早稲田大学図書館長。

なお、浅井氏は「早稲田四天王」と呼びそのメンバーを「坪内、小野、高田、市島」としていますが
■読売新聞『初代学長・高田早苗の知られざる多面的・先駆的活動』(真辺将之/早稲田大学大学史資料センター助手)
http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/culture/101013.htmlは「早稲田四尊」とよびそのメンバーも「坪内、高田、市島、天野為之」となっており微妙にずれています(小野が天野になっている)。
 これは、小野が差別されてると言うよりは「大隈の側近中の側近、腹心中の腹心」である小野は坪内らより「ワンランク上の存在」ということらしい。早稲田的には浅井氏の回答は「微妙に間違ってる」のかもしれません(まあでも浅井氏はもともとは早稲田の人じゃないしね。つうかそもそも小野梓の名前出したのはI濱女史の方だし。実は浅井氏の方は「小野じゃねーよ、天野だよ」と思いながらあえて黙ってたのかも知れません)。
 ちなみに天野とは次のような人間(ウィキペ参照)。
・天野為之:
 初代早稲田大学商学部長。1915年には早稲田大学学長に就任。しかし1917年に高田早苗と対立した結果、学長を辞任。その後、早稲田実業学校校長に就任した。

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